森 秀樹(73期)

昭和四十四年、学生運動の角棒デモゲバ・火炎瓶バリケード封鎖で喧噪な東京の先輩の三畳下宿で、一浪二浪で諦めるとは生意気だと三浪四浪の猛者先輩達から怪しい酒を飲まされ更に羽田迄説教され引き留められたのを申し訳無いですと振り切り福岡に帰り着いたのは1時過ぎ、玄関に仁王立ちした父から「東京にはやらんと言ったはずだが一回だけの機会はやった、それを酒飲んで夜中に帰るとかふざけるな就職しろ!」と怒鳴られた。
初めての二日酔いの朝起きた時既に背水の西南の試験には間に合わない、必死に駆けて試験会場に着いたが学生服の監視員が階段の上から駄目だと入れてくれない。
粘っていたら教授らしき紳士が出て来られた。「ついてきなさい」と試験を受けさせて下さった。酒臭さがバレてはイカンとか思っているうちガンと頭を叩かれた、西新電停から嘔吐疾走で来て入れた安心と会場の暖かさで寝てしまっていた。
仕舞った!と思ったが教授は知らん顔で監督席に戻られた。2時間の試験残り40分!
終わって深く礼をしたが見向きもされなかった。申し訳ない気持ちばかりだったが最早就職しかないと悔恨敗北感で松林を抜けた。発表も見に行かなかったが受かってた。奨学金を申請に行ったらその教授が「おぅ君か」と笑顔で受け付けてくださった、忘れようがない。
拾えた大事な四年間は己を見つめ鍛えたいと考えた、弓道部に入部希望したが見た目とは違う毎日のトレーニングの厳しさから20人超えてた入部希望者が1か月後12人に減りやっと新入生歓迎コンパとなった、五十人近い先輩方にコップ持って挨拶回りし締めのチャンポン爆弾酒を土鍋蓋で飲まされ意識が飛んだ。翌早朝目が覚めれば部室に敷かれたマットの上に同じように吐瀉物が顔に頭にこびりついた汚い同期が左右に寝ていた。一人道場に呼ばれ身体中の痛みに堪え神妙に正座したら「森君昨夜の事は覚えているか?新歓コンパであれだけやればやめられないな」
…覚えてないが「ハイ」と言うしかなかった。
後に何をやったか知らされ、むしろ辞めさせられない事を感謝した、感嘆したのは当時新歓コンパとは へべれけに潰す事だったらしいが、上級生達は潰れた新入生一人一人を最後まで事故がないよう全体で見守り見届ける手筈を取ってあった事だった。
四年間が始まった、先輩とは有り難いばかり、手取り足取り教え鍛えて下さり練習が終わればラーメン迄奢って下さる。ご馳走になりますと空きっ腹に染みるラーメン啜りながら言えば、「お前も後輩達に同じようにしてやればいい」と言われた。中には生意気だと道場裏の松林でビンタ張りまくられる事もあったがそれは幹部になって一切ご法度にした。 一年は学ぶばかり、二年は我が練習と一年の指導、三年となれば更に練習を積み西南学院弓道部の看板を背負って部全体を考え行動せねばならない、そして四年の夏、先輩達の活躍を超えんと五島主将禅院副将中心に一丸となって毎日合同練習で目指した全日本優勝は果たせずに終わり後輩達に託した。
就職した会社では私が初めての地方私大卒本社入社、西南?何処?無いようである学閥派閥の中で勤め多くのプロジェクトに関わり定年後もプロジェクトマネジメントスペシャリストして活動。全て弓を手にした賜物、四年間の西南弓道部のお陰しかない。
「西南弓道部の四年間とは何ですか?正射とは何ですか?」
と生意気に問うた一年の私に「これだけの部員がおれば考えも多様だろうが、弓は奥が深い、西南弓道部とはその弓に打ち込み相切磋琢磨する人間たちの集まりである事だ」と三年の山竹先輩が答えて下さった。
-ビジョン・ミッション・目的・目標・計画・実行・管理・成果確認-
弓は人生の指針であり四年間のクラブ活動はプロジェクト活動だった。
現道場の芝張りをした我ら同様現道場も半世紀経ち若い梅崎会長・OB委員会が推す新道場建設も近い。指導してくださった先輩方、相切磋琢磨した仲間そして同じく汗を流す後輩現役の諸君達とは弓矢の道で繋がり、道場は新しくなっても行く道は同じく遥か、西南学院大学弓道部だけは卒業できない。
OBOG諸氏のご健勝を祈念申し上げ現役諸君の健闘を祈る。
「日暮れて立てぬ的に引かぬ弓にて放つ矢は 中らざれども外れざりけり」

野田 典男(01期)

私が「弓道」と出会ったのは高校1年生の春でした。反復作業が性に合っており、あっという間に弓道の魅力に取り憑かれてしましました。結果としてインターハイまで経験することができ青春の良き思い出を作ることが出来ました。
その流れから西南学院大学弓道部にお世話になることになったのですが、カルチャーショックの連続でした。「運動場に向かって大声で叫ばせる部歌指導」「合宿中におけるミーティングでの長時間の正座及び終わりの見えない日誌の作成」「周囲から好奇な目で見られる先輩へのあいさつ“わっ”」「他大学幹部への挨拶(乾杯)で地獄と化した指宿列車」「遠征に男は学ラン」etc.今でも伝統として引き継がれているのでしょうか?(笑)。今のご時世であれば、ハラスメントで訴えられてもおかしくないことばかりでした。
とはいえ、入部して良かったことの方が多かったと思います。ありきたりかもしれませんが、良き同期、良き先輩・後輩に出会え、弓道を通じて同じ時間を過ごせた思い出は何年たっても忘れません。2年生の時、引退されていたにもかかわらず、毎日夜遅くまでチーム指導して下さった98期の今中先輩。
そのおかげで久しぶりに全九にて決勝リーグ戦へ進むことが出来ました。3年生の全九で主将にもかかわらず不甲斐ない的中で予選敗退。あの時ほど泣いたことはありません。その傍らで後輩の岩城(02期)が慰めてくれました。その他にもここでは書き尽くせないほどの思い出がたくさんあります。
私の弓道人生は学生時代の7年間(実働5年間)でした。その後、弓に触れない生活の方が圧倒的に長いのですが、未だに弓道の試合で何をしても的中しない悪夢を見ます。電車やバスの吊り革を手の内の形で握ってしまいます。気づいたら指を鳴らして離れの練習をしています(皆さんも心当たりはありませんか?)。YouTubeで弓道の動画が出てきたらついつい見てしまします。外出先で弓道場を見つけたら覗いてしまします。私の人生で弓道は切っても切れないものなのだと実感しています。
子育てがひと段落付いたら弓引きを再開したいと思います。
最後まで乱筆にお付き合い下さいましてありがとうございました。現役の皆様、OB・OGの皆様の今後ますますのご活躍を祈念いたしております。

山口 輝明(04期)

早いもので大学を卒業して20年が経ちました。私自身、弓道は高校までと思って大学では弓道をするつもりは当時ありませんでしたが、新入生の頃の色々なサークルの勧誘や体験入部等をして何か物足りないと強く感じたことを今でも覚えています。
縁があって大学でも弓道を続けることになったのですが、今思うと本当にあの時、弓道部に入部して良かったと思います。成績は個人的に何も残せませんでしたが、弓道部で知り合った先輩・同期・後輩は自分自身の支えと一生の財産になっていると思います。大学時代から現在に至るまで、私のような人間に携わっていただいた先輩・同期・後輩の皆様、本当にありがとうございます。
話は変わりますが、当時(今でも残っているとは思いますが・・・)道場に「不急不休」と書かれた額があったと思います。当時から何となくその言葉が好きで大学を卒業した今でも大切にしている言葉です。この言葉に私は、何度も助けられましたし、今の自分を形成する大切な基本動作の1つになっています。
何事も自分がやると決めたことを継続することは簡単なようにみえて、実際はとても難しいものだと私は思います。それでもしっかりとした意識と気持ちを持って決めたことを継続することは、自分自身の成長に直結すると思います。継続することに欠かせないことが「不急不休」というものにあると大学を卒業して何度も痛感させられています。
今、現役の方にはあまりピンとこない話かもしれませんが、練習にしても勉強にしても是非この「不急不休」という言葉を大切にしていただきたいと思います。
最後になりますが、同期の皆へ言わせてください。仕事と子育て盛りの世代で何かとゆっくり集まって会えませんが、いつも同期の皆がいたから充実した大学生活を送れましたし、皆に出会えて本当に感謝しています。卒業したばかりの頃は、毎年当然のように集まっていましたが、最近は日々の忙しさに怠けてしまい集まれていませんね・・・。来年こそは久しぶりに皆で集まりましょう!幹事は私がやります!また会える日を楽しみにしています。

谷石 航輝 (22期)

22期の谷石です。今回会報に掲載する機会をいただきましたため、拙筆ですがお付き合いいただけましたら幸いです。
弓道部を卒部し早2年半、地元金融機関に就職した私は支店長、もとい94期二川先輩と運命的な出会いを果たし、日々ご指導ご鞭撻を頂き、共に汗を流す日々を過ごしております。学生から社会人へと環境が一変し、肉体的・精神的にも辛いと感じることが増えましたが、そのような中でも食らい付いていけているのは、弓道部で過ごした日々のおかげと言っても過言ではありません。
弓道は常に理不尽を突き付けられる競技であると現役時代から考えていました。どれほど矢数をかけて練習しようが最後に引けるのは本番の4射だけ、それで結果や勝敗が決まってしまうからです。加えて夏は猛暑、冬は極寒の道場などの環境要因、早気などの心因的障害とも向き合わなければならず非常に労を要する競技です。
そんな中、21期の先輩方と成し遂げた30年振りの九州インカレでの男子全勝優勝は達成感が一入で、一番の思い出です。また、個人的にそれと並ぶ思い出が、九州インカレ前に行われた西日本大会での高校時代の先輩のいた広島大学との直接対決です。それも決勝リーグの最終戦にあたりドラマチックな巡り合わせでした。結果的に総的中で団体としては勝つことができましたが、自分は半矢、先輩は皆中で個人的には負けてしまい、かつ当時自分の射は試合シーズンに向けて何とか間に合わせたもので、情けない射しかできなかったという後悔で、試合後先輩に歩み寄られた時に泣いてしまいました。それも今では良い思い出です。
その後自分たちの代となり、やってやるぞと意気込んでいましたがコロナ禍となり、自分たちにとって「最後」の試合が全て中止になりました。自分の積み上げてきたものは何だったのかとやり場のないやるせない気持ちになりました。
1年以上が過ぎ、全日インカレなどオンラインでの大会が少しずつ実施されるようになりましたが、4年生時の全九は規制の緩和を受けて対面で開催することになりました。前年の全九も行っておらず、準備期間は右も左も分からない中、各種申請などに骨は折れましたが、2学年、3学年上の先輩方とも連絡を取ってご協力いただき何とか開催まで漕ぎ着けました。無観客となったものの、県に協力を依頼してYouTubeでのライブ配信を導入し改良を加えることもできました。
競技面だけでなく部や大会の運営など、他では経験する機会のないことを多く経験することができました。自分の性格上、才能はなく努力することしかできない質であり、学生時代に弓道以外の競技でも楽しむことが出来たと思いますが、「弓道」を選んで身を置き、たくさんの事を学ぶことが出来て良かったです。
今後は梓弓会の先輩方に仲間入りして現役生を見守っていけたらと考えていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
最後になりますが、昨年12月に逝去された23期主将佐渡丈太郎君のご冥福をお祈りいたします。